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土器かな? [諸島の謎々]

また斜面から出てきたのですけど、縄文~弥生頃の土器なのでしょうか?

DSC_0261.JPG
厚手式土器みたいな感じの一部ではないかとも思えてるけど~

HORIZON_0001_BURST20231130132024136_COVER.JPG
焦げがあれば羽口かなと思えるけど?

DSC_0265.JPG
明治~大正頃の煙突の内部の耐熱粘土かも知れないですけど

DSC_0273.JPG
比重がかなり軽くて、軽石みたいな感じしてます。

お心当たりの方、お知らせくださいませ。

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別れの水盃かな [諸島の謎々]

例の土器らしきですが・・
輪線模様ある備前か古備前.jpg
実は、先月の結構降った際の雨で、がけ面から転がり落っこちていまして、生い茂る雑草の中になぜか自立していたのですが、その姿から、江戸時代以降の徳利ではないかとの予測できています。

詳しくは後程ですが


紐が掛かっていたのではないかと思われる細い口部は割れていまして、破片は、まだ見つかっていなくて、詳しくは不明のまま・・



先達て、周辺から見つかっていた割れた皿や湯呑などと考えあわすと、まぁ第二次戦時中の水盃の痕跡かもしれないとも思えていまして、島内各地域にそれぞれ建立されている忠霊塔の状況からして、当時、それぞれ10人以上の従属が招集され、戦地へと赴いているとの予測ありですから、


そうでなければ、海賊行為はもうできていないだろうから、江戸時代のヌケニ、いわゆる密輸品かな? とか!!


徳利にしても、水盃の儀式にしても、戦国期に、中国から伝来したもののはずでして、いずれにしても、今日に至って多種多様で、国内に正しく伝わっているのかどうかもまだ確かめられていませんが、国内製造品かどうかは、詳しい研究者などの意見を聞いて、よく観察してみないと分からない状況あり。





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庭に蛍がいた。 [諸島の謎々]

さっき、おトイレに起きたところ、玄関ガラスに貼り付いて点滅してた。
ミドリ色の3~4mmくらいのハッキリした光。

深夜1時です。

自宅周辺での目撃は3度目です。

急いでスマホ取りに行ったけど、もういなかった。

やっぱヒメボタル、この山にもいるんだな。

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1万年前の日本 [諸島の謎々]

日本は1万年くらい以前、今よりもっと低緯度、今の沖縄辺りに位置していたのではないかと思うことがある。

九・四国は、その昔、肌を朱に染めた裸族が支配している時代があるみたいですよね~。


地殻変動なのか、地軸変位なのか、気候変動なのか、そのすべてなのかは皆目分からない。

楕円軌道や巨大隕石により太陽熱が増していた可能性もあるし、これらを解明出来れば、温暖化に新しい見地見解、流れが生まれるかもしれないな。

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災いとかある?! [諸島の謎々]

ここへきて・・
災いの言い伝えは聞いていないけど、祟りとか治めるためとかで祭られてたなんてケースも含めまして、もしかすると祭事関連のレプリカではないかという最初の予想、まんざら当たっていないとは言い難し感も有力になってきてる。

謎の埋設物2104_2.jpg
ここのところの雨で、謎の埋設物の後ろ側に、木板が埋まっていることが判明しました。空洞もあるし、ケースに納められていたものが土石流で流されて、ここに埋まっていたという事のように考えることもできる。

謎の埋設物2104_1.jpg
前回に引き続きまして、今回も周りにも、まだ陶器らしきの破片が何個か見えてきています。


予想に過ぎないですけど、もう少しで全容解明にたどり着けるかもしれない空気感は無くもない。

かなり古そうな瓦祠も多いし、片田舎だし、なんか不気味なんですよね~。


ちなみに瓦祠は、"地主さま" という呼称があるという記事を最近読んだ。

地主が亡くなった時に神として祀ったのかなと思ってたのですが、その土地を納めていた神を祀っているのだとか・・、まぁ数が多いのでまだ何とも言い難いのですが

祟りとかぁね~(汗;)

生まれついての罰当たりなんで、そいうのもいいんですけど、何か簡単には動かせないなって、思えてはいる訳なのですが・・(笑;)

チョコの食い過ぎで心臓とまったりしないよね?!

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須恵器というより素焼器 [諸島の謎々]

謎土器210314-01.jpg
メゾネットかな、その昔、小籠包とか蒸していたものだろうか
この焼き物、なんだろうね?

謎土器210314-02.jpg
今日は別の角度から撮影できました。

なんか、焼き跡らしきがみえる。
実用品として煮込みとかに使われていたのかもしれないな。



あれからぼぼ1年です。
謎土器210314-03.jpg
雨上がりは櫛目が本物の土器っぽくみえてる。

2022/8月ps; 古備前 糸目文 とっくりかな?


日本は、創設以来の単一王朝国家って記事を読んだのですが・・

もしものこの地区が、その昔、キャラバンのために与えられたエリアだとすると、これらは、地権者が先祖代々引き継いできてた土器で、日本の戦国期に、敵陣に奪われないようにするため、意図的に隠されたもので、半島の国々の王家王族の証の品ではないかとなってちょっと思ってみてるけど、、、
当り障りなくとなると、ヤマト王朝の痕跡なのかも

こういうのも歴史ロマンですね。
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謎多き埋設物 [諸島の謎々]

今年は寒暖差の変動が激しい冬でしたよね。
もう春かと思っていたらまた真冬の寒さ、雨もよく降りますけど・・

本日は、いぜんUPしてた風雨で砕け散ってしまったというかなり古い時代の羽口土管(全容は見れなかったのでたぶん)ですが、そのすぐ横付近にまたまた何か見えていたので、少し掘ってみました。

謎多き埋設物.jpg
何かは正体不明です。

砕けた細かい破片も沢山出てきていて、簡単には掘りだせそうにない。昭和の中頃製と思われるビニールが一緒に埋まってたから、やはり農道が作られた時に発見されてた物の可能性はあるのかも。写真だけとって埋め戻しましたが、また日を改めてみます。



化石が出てきそうな石.jpg
こちらは、10年以上前に斜面から掘り出され農道脇に長く置かれていた石ですが、人口的に加工されこの形になってそう。

ここ数年でかなり薄く剥離している様子がみられます。

泥が長い年月で堆積して固まったものだと思う。

白亜紀以前の昆虫とかの化石とかが出て来そうな感じですよね。
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たぶん供物皿(食器)?! [諸島の謎々]

埋設物に関して、数年にかけて、その都度、こちらのコーナーで取り扱ってきていますが・・

お供え食器.jpg
先週、地上に露出していたのを取り出したものですが、たくさんあるのかと思いきやこれだけでした。

まだ農道の敷かれていなかった頃の記憶では、20ヶ所程あるかないかですが、小さな祠や五輪塔がところ何処にあり、4~50年くらい前までは、旧正月や節句、お彼岸、十五夜など、団子などのお供えものや樒(しきみ)か、榊(さかき)かがいけられていたと思うんですよね~。

道が整備されて、そういった習慣が失せてからは、その器が風雨で割れたりしたものを、誰かがまとめて埋めていたとの予測を巡らせてはいるのですが・・


以前もこの地域の歴史を遡ったりしていますが

点在していることから、祠は、小早川軍が強襲してきた際、落城時に忽那水軍側で大勢が亡くなり、それを先祖代々、何か分からず祀っているのではないかとか

妙なものがあちこちから出てきているといのは、そういう事なのかなって考えてる最中で、言い伝えも何も聞かされてはいないので、今となっては単なる憶測だけなのですが

更には、集中豪雨による土砂崩れなどで地形が変わった際の痕跡とも考えられるし、いぜん、なぞはなぞのままでして

このプロジェクトは、何も答えが見つけられないまま、雨が降るたびに永遠続きそうな予感だわさ。


しかし、例の節目紋土器らしき弾丸形状の焼き物は、ド根性ですよ。
落下すると思ってからもう1年以上が経過していますが、まだ全容が分からないまま、もう一雨か二雨で白黒はっきりするのではないかとは思えているけど、やっぱり口がないから壺ではない様子あり。

漁具かな

仮に500~1000年くらい前のものだとしても、この辺りは弥生時代とそれほどは代り映えの無い暮らしをしていたのではないかとも思えてまして・・

一見さび止めにも見えるのですが、江戸期の塗料なのか、ベンガラかどうかもまだ分かりませんけど
その昔、南蛮渡来の御禁制か、抜け荷かの品々の高値取引に着目して、海賊行為が禁止されて以降、贋作を作っていた歴史とかもあるのかもですよね~



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冬なのに雨良く降るね~ [諸島の謎々]

昨年の春くらいから5~6羽のカラスが近くに住み着いている様子あったのですが、最近、調子乗ってきているのか、毎日、カーカーうるさいんですよね~。

静かな田舎地区なので不気味ですわ。

そして、この冬、猛禽類が多くなっているせいか、なんか仲間をたくさん集めている様子でして、きょうなんて、見上げるとサイコ状態っすわ(笑;)。

何ごと、カラスの集会・・



以下、畑の様子です。
例の巻貝やっと、全容が撮れました。
アカニシ.jpg
10cm以上はあるから、たぶんアカニシではないかと考えてます。

いつ頃のものかははっきりしないけど、厚型土器らきしの破片が出てきてた場所なので、汽水の二枚貝と一緒で、以前の住人によって、ここに何か埋まっていると、記された目印ではないかと思えていますけど・・


亜鉛船釘.jpg
それからこんなのも発見。
かなり錆ているけど舟釘だと思います。

まだ亜鉛が刷り込まれていなかった時代のものだとすると、しかも3 層構造でやや小ぶりな感じなので、軽量化と強度を維持するために作られたものと考えると水軍船のものなのかも。

考えると、この島は水軍期の船の様子がわかる史跡は、何も発見されていませんでした。落城時に、まとめて燃やされたのかもしれませんね。

いまだに門外不出なのか・・



なぞ破片.jpg
波型スレート屋根の破片かと思ってたんですが、やや陶器質な感じもありまして、青磁?! 断片過ぎててなんか不明ですわ。



そういえば、先週か、石灯篭のところのガラスブイが1個割られていたのみた。
多分、近所の人はしないと思うので、カラスのいたずらもしれないな。
あれも戦後くらいまで使われていたもので、今はかなり希少なはずなので、貴重品なんですけどね。


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瀬戸内の海賊諸島 [諸島の謎々]

火葬って、古くは6世紀ってあったけど、その頃のものの大半は火炙りの刑かそれに近い状態ではないかと思う。たぶん、高貴な天皇家とかでの事なんだろうね。

検索してたら明治には3割くらいってあったけど、地方行政が火葬場建設に積極的になったのは大正入ってからということなので、離島や山間部では、昭和入ってからの可能性ありますよね。


というのも地元の墓地がいつくらいから、存在あるのか考えていたのですが、現代の形式の墓地は、火葬墓地ですからね。!!

古そうに見えてても昭和64年+平成31年+令和2年 = 100年もは至っていない訳だな~。


都会も地面を何メートルか掘り起こせば人骨が次々に出てくる場所はあちらこちらに点在しているなんて聞いてたけど、田舎では古代の史跡とかそのまま眠っている場所も意外と多くあるのでは? って思えてまして


いぜんこちらのブログで紹介していたものも・・

現在の墓地ではない場所で、石のモニュメントとかが、日当たりの良い山斜面にあったりするのは、古墳や石憤の類か、或は悪い事とかしてて公に出来なかった位のある者なんかなって考える事がある。

こちら瀬戸内は海賊島も少なくなくて、隠蔽体質というのか、公に出来ない関連少なくない感じ強くて、謎は深まるばかり・・

何か発見しても、歴史のひとこまさえ、無になりますね。

同胞融和とかの件考えていても、天皇支配頃からの統治がらみの線も消えた訳ではないけど、なお更だわさ。

瀬戸内海にはずっと隠しておきたいおぞましい黒歴史とかがあるのかも知んないな~
今でもそれらに関して気軽に喋られると困る訳ですよね~。

地方行政も今は政府が仕切っているので、天皇制との関わりもね、云々・・

ただ国民の中には、神棚の位という習慣的な部分がある事は、政治家やマスコミとかの言葉使いからも分かりますわ。
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14号台風通過 また貝がらです [諸島の謎々]

距離的には、数百キロも離れてたけど、かなり風吹きました。
雨も少しあった。
船便の欠航とか30分以上の停電とかも

秋10月 14G@貝殻1.JPG
今朝、発見してたものです。
今度こそ恐竜の歯の化石とかかと思ったけど、やっぱ、いつもの貝(汗;)。

でも、いつもの畑の奥ではなくて、少し離れた場所でした。

年代鑑定してもらいたいけど、費用が高くて無理そうなんで、ずっと足踏み続いてますが・・

秋10月 14G@貝殻2.JPG
問題は
過去100~1000年以内の住民が捨ててたものなのか、縄文~弥生の古代人の貝塚なのか、或は、もっと昔、この場所が波うち際で貝が生息していた海面だった頃の地層かという部分なのですが

なんも分からないまま、時間だけが過ぎてますけどね~!!


もうすっかり秋ですね。
ジョロウグモや藪蚊がまだ多くて藪の中は近寄りがたい感じ

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過去最大級のムカデ目撃 [諸島の謎々]

https://petamun.blog.ss-blog.jp/2020-07-09
↑ この日の出来事ですけど、実は、地区の偉い人も交えての作業で写真とか撮ってないですけど

かなりハードで余裕もなかった分けですが・・

トピズだと思うけど国内最大級と思われる個体を発見してまして

胴体半分がシャベルで切断されてたので、長さははっきりとは分からなかったけど、横幅は、通常見る20cmくらいのトビズの2倍以上は確実にあったと思う。


そこから予測できる長さは、おそらく30cm超えてるわけでー(汗;)。

山歩いてて、足元でマムシがトグロ巻いてた時と同じくらいビビってしまって、間髪入れる間もなく反射的に速攻叩き潰してたのですがー(爆:)



本日は ♪浅草キッド 即興で歌ってみた。


思い起こすと
https://petamun.blog.ss-blog.jp/2006-06-21
もうかなり前だけど、ヤマカガシも2m級のみてるし・・

こんな離島で
いったい何食って、
そんなにデカクなるんだろうかね~。

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埋設物 廃棄事件 [諸島の謎々]

こちらの謎コーナーで取り上げていた出土品ですけど、出てきた畑に保管していた例のブツですけど、またまた廃棄されてしまったみたいだわ~。


一応、まとめてといて、ひと段落ついてから、提出しようと予定してたこの地域の歴史資料なんですけどね・・


https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-09-12
に続き2度目。

そうとうヤバイな。
かなり前々から、すうすう気付いてはいのたんだけど、ボロイ事するやつおるよね~。
前回とまったく同じパターンだから、言葉が通じていないって思うしかないですわー\(-o-;)/。

古代サンゴの化石と縄文弥生時代の貝殻と土器片何種類か、すべてなくなって、飛鳥時代以前のものだとの予測ですけど、羽口の破片だけが1個残ってた。


現実、ばっと見、土の塊と変わらないくらいの破片が1個だけ残ってる意味も分からないよね!!

価値観とか、必要性とか、まったく、なんも分からないようなので、文句の言いようも失せてくるし・・

こうなったら、どれくらい人間がボロイのか見極めないといけないよね~。


・・排泄物 埋設事件だと、庭ネコの○んこみたいなんですけどね~(爆;)


PS :
てか、余談ですけど、3、4日ほど前、終日で、太平洋と中国地方間たぶん岩国だと思うけど、行ったりきたり、戦闘機よりはかなり大きかったので、もしかすると B1Bではないかと思うのですが・・

B2ならちょっとスゲぇてな事になるんですが・・

これもステルス性能があるなんて読んだことがあるから・・

先週から半島事情が話題だったので、なんか、良からぬ方向へコマが進んでいるのではって思ってみたり。核弾頭の配備とかが進められているのでは? って思う分けですよー。

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雨燦々と・・ [諸島の謎々]

冬将軍到来っすね。
今年も暖冬だとは聞いてたけど、急に冷え込んできてる。

大きなジョロウグモも少なくなってきたので、藪にも近づき易くはなってきたけど・・

2日の23時前後から、2時間くらい戦闘機が飛んでいる様子あったの思いだした。

瀬戸内海380kmくらいを縦断で往復する感じだったと思うけど、高度が低かったのか、マッハ2~3くらい出てたのか、結構、深夜の騒音だったのよね~。

その後も、朝まで、スクランブルっぽい夜間演習飛行続いてたと思うけど、高度もあがった感じで音も静かにはなってたけど、・・なんかあったのかね。?

たぶん岩国のステルス機ですよね。F35かな !!

まぁそれはそれで良いんですけど・・


すり石土器.JPG
ついに湾曲になってる石みつけました。
これって礫石器の皿石とか磨き石とかではないですかね。?
材質自体は、鎌倉時代頃に良く使われていた凝灰岩か砂岩って感じですけどね。

丸太木片01.JPG
その近くには、こんな丸太の破片があった。根元だけみたいですけど、その不自然さから、竪穴式住居の柱につかわれてたものではないかなって思えてるんだけど・・?
長く土の中にあったようですけど、この老朽化具合は、1000~2000年以上ですよね。

高杯.JPG
それから、これ、高杯みたいな土器らしきですが、一昨日の強風と雨で、やっと全容も明らかになりつつあります。
特殊器台形土器だとすると、やはり古墳なども眠っているのではないかとか思うよね~。

ただ近くの土製管に関しては、そのモロさから、羽口ではないかと思えているので、焼き窯の存在も疑われてますけど、刀剣や勾玉とか出てくれば間違いないんだけどな~。



何処かで科学分析などしてもらえれば良いんだけど、古代のものならば地域的な財産ですから気軽に荒らされても困るしね~。

不思議なことに、かなり古そうな一升瓶の割れたものとかが出てきたりもしているので、注意していないとケガとかさせられそうっすわー。
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難・知・如・陰 [諸島の謎々]

https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-09-12-1
https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-09-02
↑ の続きです。

瀬戸内海を中心に考えた古代西日本の支配圏の移り変わりから、邪馬台国は何処か、倭(ヤマト)王権へどう繋がっていったのかを推測してみた。

春秋(BC770 - BC403) 時代までには、貿易もあり船舶での行き来もあったのではないか、戦国(BC403 - BC221)~三国(BC220-BC280)時代に強襲され、邪馬台国は壊滅し、その頃に倭(ヤマト)王権へと移り変わって行くのではないかと・・

それがいわゆる逸話の神武東征ではないかと疑ってみてる。

それ以前、瀬戸内海を取り巻く環境は、それぞれの小国家があった事は史跡などで分かりつつありまして、勢力争いや狩り/漁場争いなどで小競り合いを続けたりしつつも、そのうち貿易的な繋がりも行われるようになっていったものと思いますけど、極論を言うと、既に連合国的な組織が出来上がっていたんだよね。それが近畿圏に位置する邪馬台国ではないかと

たぶん最終氷期の真只中で、日本に渡ってきた猿人を祖先に持つグループと、中国や朝鮮半島から、様々な理由で、はみ出してきた神々と呼ばれるグループが存在してますよね~。

前回も少し触れましたが、その頃、下関に運河が造られたのではないかと思うのです。天津の運河の話ししてますけどね。その後なので、大それた知恵もあった分けだわ。

最初は船が擦れ違うくらいの小さなものだったのだと思うけど、数百年で海流に侵食され続け今のサイズになったのだろうかと・・

神武東征が日向の国からと云われているので、その頃はまだ関門海峡は無かったんだろうと、単に思っただけなのですが・・

大雑把に分けると、九州勢は香港・台湾・上海・沖縄などから移り住んだグループで、山陰・山陽は朝鮮半島からのグループとなりますかね。

邪馬台国の長は卑弥呼というのには疑問が残りますが、大和地方が連合国だったならば在りえる話。その後継者は壱与(イヨ)という人物だったそうですから、卑弥呼のベースは愛媛で、伊予の国という地名が出来たわけですよね。卑弥呼=ヒメコの国なので愛媛なんだと聞いたことがある。


まぁ海猫の弥次郎兵衛的な与太話は置いときまして
調べていると熊本説や日向説や葦岳山が邪馬台国だという説とかも普通にあるのですが、そのすべてが謎のままですが、連合国つながりで西日本全体が邪馬台国の支配下だったとすれば不思議も無い。古代史の痕跡が山中の至る所、古墳が全国の至る所に残っていますから、どれも否定は出来ないですけどね~。

魏(220- 265)の時代、倭国の全域で主従関係の繋がりがあった分けです。

普通に歴史をさらっていると、どうにも解明できていないというのか、国内ではタブー視さえされているという感じも受けていまして、その理由は古代からの天皇家支配に関わりがありそうに思ったり、卒論用とかに史実暈かしが意図されているのか?!

激しい戦闘に巻き込まれて何もかもが破壊されたと考えると、無数の軍艦、軍隊も必要でしょうし、中国の戦国時代しか思い浮かばないな分けでして



何も確証はないけど、武田信玄の馬印の風林火山とかは、古代、最強だった勢力圏を記したものではないかと思ってみたのですわ(汗;)。

風は、伊予の国の瀬戸内海側の島々で豪族河野氏の風早の地。神風は伊勢。
林は、風が吹くと、一緒にざわめきはじめるのは、山陽と山陰や四国です。
火というと、やはり阿蘇や鹿児島のある九州エリアですよね。
山は、邪馬・・、朝廷のあった奈良盆地あたり、国々の連合組織です。


孫子の兵法にあるのですが、難知如陰。
大和平野の周辺には伊賀や甲賀がありますし、古代、瀬戸の海賊衆もその類ではないかと

日本書紀や古事記に出てくる逸話では、神武天皇の父が攻め入った際は矢に当たり敗れているが、再び神武天皇が攻め入った際には、多勢の協力国を引き連れ(瀬戸内勢力)、戦勝しているとのことですから。これらの逸話は、西日本で、瀬戸内海をベースに物事が論理だてられているように思える箇所が沢山あるように思えてて


兵法をまとめた孫武の子孫か、倭国担当の戦国武将の中のリーダーかが、この神武天皇の正体なのではないかと考えてみてるのですけどね。東征と言ってるのは、中国から見た場合、倭国は東方の島々だったからで、後に見聞録のジパングって呼び方も出てくるけど、これもパンパシフック(環太平洋)に浮かぶ J の形をした島という所から付いた呼称だと思う。確か学校教育では、野蛮人がなまってジパングになったって教えられてた記憶ありなんだけどね~。その頃の呼称が今も国名なんですわ。

後、大陸文化の影響で、古墳や運河が築かれ時代は急速に進化して行ったのだと思う。


それから古・今・東・西ってのも、邪馬台国に纏わる分け方かなって思うんです。風林火山の順で並べ代えると、東西古今ってなりますけど、今は、朝廷のある奈良京都で、古は、火の国、九州ですよね。著名な地名がダブってたりしてませんでょうか? 東は、四国、西は中国地域。
風とか国って漢字は、西日本の風土から作られたとの推測もできる。

信じる信じないはあなた次第っすけどね\((爆;))/
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大きな巻き貝でしたmm [諸島の謎々]

https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-10-20
https://petamun.blog.ss-blog.jp/archive/c316073-1
例の土中遺物ですが・・
ロッドの先にフォークみたいのをエポキシと木綿糸で接着したものを作りまして、それで表層土を除けてみてたのですが、まだまだやぶ蚊や大きなジョロウグモ多く、とても難航してまして・・


本日再び、カメラと三脚もって現場撮影してきました。
イトマキボラ.JPG
これ、たぶんナガニシか、ボウシュウボラか、イトマキボラかツノキガイかチトセボラとかの仲間だと思う。この巻き貝は、結構、土器にしてたりあるんだよね~。

頭蓋骨だと思ってたから、このタイトルだと
"大きな間違いでーしたぁー!!"" って感じっすけど~(汗:) まぁ、やっと一安心です(笑;)。

検索してると○×万年前の地層で発見とか採取とかってよくあるけど、それってかなり広範囲で地層が安定していないと、当てにならない事もあるから

ここら辺は土砂災害で出来た地層だと思うので、貝殻だと年代予測もできないっすわ~。

それにましてジビキかトロール網だと思うけど、初期のビニール網とそれ以前の綿製の網も見えてまして、まあ風で飛んできて絡んでそのうち埋ったという見方も出来ますが、いずれにせよ一緒に埋ってる感じだったので、以前の住人の漁師の方が、海でみつけて埋めたものではないかとの予想もできた。

土器の破片もたぶん同様ではないかとは思うけど、それが、必ず少量の貝殻と一緒に出土しているのでとても不自然なんっすよねー。

https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-11-04
そのアサリに関しても、場所の離れた数箇所で土器と一緒なので、まだどうだか・・


https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-04-13
ボロボロのサザエと一緒に出てきている土器とか、特に、なんか、ここ百年くらいの間に、人の手が加わっているって思えてならないから、結構、オーパーツ なのかも!!



で、今回判明した大きな巻貝は、このあたりの海で採取できるようには聞いていない種類なのですが、その昔は瀬戸内海(中予)にも分布があったのかも知れませんよね~。

堆積岩とかの中にある化石ではないので化石かどうかさえ判断できない現実!!
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本日の貝殻です。 [諸島の謎々]

廻りを海に囲まれた小さな島なのに、なんで二枚貝? ということで不定期で続けてますけど・・


確かに土器片は見つかってるけど、最近思うんですよー、どうも出土の仕方が変に思えてまして、もかすると貝塚ではないという可能性も疑ってはいたのですがぁ

農道が作られた頃に、誰かの手によって移動させられたか、埋められたのではないかという疑問です。


アサリですか.JPG
本日は、2枚の殻が合わさったままの貝も出てきました。左側の3つです。


ナノナピス.JPG
3cmオーバーのそこそこ大きさのあるものも見つかりまして、凡その種類、ナノナピスやホンビノスでなければ アサリ ですよね~。この放射状の肋と大きさ、形が特徴です。



アサリに文字.JPG
1枚目の写真の左下、何かやたらと傷が付いている感じのものが1個ありました。
アサリに文字1.JPG
船? 何かが刻まれているというか描かれている感じありますよね ?

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ノップ碍子の破片 [諸島の謎々]

またまた、なんか見つけましたー。

ノップ碍子02.JPG
厚みが10mmくらい。割れている様子だけど長さは32mmくらいある。

陶器質ですけど陶器ではなくて、たぶん碍子だと思って、ぐうぐるってみると密林で108円で売ってたわ。

これを使った屋内配線を、碍子(がいし)引き配線工事というらしく、主に木造家屋用みたいですかね。

許容電圧や電流とかでサイズが何種類かある様子だ。


※S36年頃までは使用されていたらしいです。内線規定の1962年(S37年施工)8月改正により、屋内配線は、がいし引き配線から、現在の電線管配線へ変更されたのを期に低圧配線では使われなくなっている様子。

ノップ碍子01.JPG
今回見つけた破片は、低圧 296ノップ という規格だと思う。

そういえば、今は畑だけど、確かに20年くらい前まで木造平屋の家屋がありましたわ。

住んでた漁師の方が亡くなられてから、直ぐに解体されたみたいですけどね~。

57年以前に造られてたものという事だと思うけど、そうでなければ別の家屋のものという事になるよね。

・・というのも、車の登れる農道ができたのが、たぶん、昭和47年前後(47年くらい前)だと思うので、その頃、その家はまだ建てられてなかったように思えてるのだけど、なにせ幼い頃の事なので、かなり I・My・Me でしたが
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アシカがいたらしい [諸島の謎々]

19~20世紀に絶滅したと伝えられていますけど、かつて日本の沿岸にもアシカの生息があったらしいです。

このコーナーでは、最近ずっと、縄文土器の出土状況の特集してますけど

今、頭蓋骨みたいなものが見えてまして、まだ何かは分からないけど、大きさからするとスナメリかニホンアシカの骨かもれないと思っている最中なのですけど・・


そう考えていると子供の頃の記憶が蘇ってきてまして

島内は地域別に海水浴場があるのですが、高齢化の激しい島なので、盆前は何処のうちでも親戚縁者が子供連れで帰郷してたり少なくなくて、そういう方々が楽しめるようにと設けられているのだと思うけどね。

ニホンアシカ情報.JPG
45年くらい前に一度、大きな生き物の死骸が打ち上げられてたんですよね~。

当時の大人の話ではスナメリだと言ってましたが、細長いイルカの感じではないのを記憶してる。マナティかジュゴンって感じだったんですよ。

この海域はアマモが豊富に生息してます。100mくらい北側には磯もあり、魚介類も豊富でなんです。


その後、砂浜に穴をほり埋められたと聞いたまま、それっきりでしたけど、たぶん肌色も淡青ではなかったと思うし、ニホンアシカならば該当する可能性も無くはないのかなぁと当時を振り返ってますが・・

結構広いところなので掘り返すのは無理っぽいけど、まだ埋っているかもしれんよね~。

島の周りではスナメリも数年に一度くらいしか見なくなってるけど、かつては結構いたんですよ。群れでフェリーの周り泳ぐくらいはね。

ニホンアシカは陸に上がれるので古代から捕獲されていたようでして、遺跡からも出土しているとか、食用にはしていなくて、主に火油の抽出に利用されていたとかって記事もあったけど!!

ちなみにアシカの語源は、海の鹿という意味らしいですけど、もうひとつ、アブラメという魚を追っかけまわして主食にしていたようなので、いつも"油"の目先を泳いでいるという感じで、アイナメをアブラメって呼んでいたのではないかという説とか?

アイナメやトラハゼみたいなのは、鱗が極小なので、アジやサバ類と違って、尾びれ側からも捕食できる分けです。

余談ですけど・・
 ・油牛 → アザラシ
 ・油鹿 → アシカ
ではないかと思う事もある。ウミウシってのはいるし、古代アザラシとアシカの区別は無かったと思えるし、ただシカよりは猪(シシ)のが親しみはあったはずなんですが、尾ヒレでなくて足(アシ)ではないかとかね。足のある猪 → アシシからアシカへ

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知らなくて良い歴史 [諸島の謎々]

秋ですね。
うちの周りでもモズが騒がしい。今年は多そうですかね~。以前は低地には殆どいなかったんだけど野鳥も増えると害虫駆除してくれるので良い傾向です。たぶん農薬散布控えられているんだと思うけど、大きな女郎グモがやたら多くてあっちこっちで見てる現状。

しかし夜間20℃やーん。
冷え込みはじめてますけど、2ヶ月ほど乾燥続いてたから庭の植物も枯れ気味で大変だったのだけど、やっと雨降りましたわー。

秋雨前線と、20号台風の影響かもしれませんね~。

縄文土器&人骨かも.JPG
で例の畑の奥ですが、頭蓋骨ではないかと思われる白い丸っぽいものが見えてたという前回の謎記事ですけど・・

雨でPhoto左側のほうの土が崩れた影響で、見えていなかったところが見えはじめてますけど、予想より大きそうな予感ですね~。

何かはまだハッキリしませんが土器とかのサイズではないような?!

右側の四角いのは、しちりんと間違えていた縄文土器の一部、そろそろ落っこちてきそう。汽水域の2枚貝の殻も何枚か出てきてる。


https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-09-02
この前の記事ですが、庶民が知らなくても良いとされ、隠蔽された瀬戸内海の歴史があるのではないかとの謎・・

百舌鳥の古墳遺跡、仁徳天皇領かどうかは知らないけど、戦時中、朝鮮半島でやらかしたことの一部始終の軍の資料を燃やしている形跡が発見されているという記事を読んだ。

あれば 極東 ×級戦犯の結果も変わってたはずだね~。

隣国ともめにもめてた諸問題、政府は無かった事、条約交わしてすべて終わった事だと主張していたけどね(笑;)。

あと西日本の同和問題(昭和天皇の即位時の御言宣)にしても、世間が考えている事とは、まったく別の何かの意図があるばだと思えてるのですが、もっか不明のまま。

皇族、政府、軍部の一部だけしか知らない何かがあるんだと、最近、地域の歴史を探していて思うようになってますけどね~。

邪馬台国も関わってるのか、現実不気味な壁にあたってて、いろんな意味で足踏み続いてますけど、これから謎をどう解き明かすべきなのか、それが問題だわ。
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石ころが石器に見えるわー [諸島の謎々]

https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-10-07-1
の続きですけど・・

磨耗石器かな01.JPG
なんか、石灰岩かな? ただの石ころなんでしようけど、やけに鋭利ですよね~。

磨耗石器かな03.JPG
こんなのが何個か転がってた。自然なのか、不自然なのか、これ石器だとすると、打製か、磨製かの判断も難しいし、随分、初期的な感じではありますよね。

磨耗石器かな02.JPG
割れ石を利用した簡単な作り? けがき用の筆記具とか・・

https://petamun.blog.ss-blog.jp/2019-05-18
あと以前の土製管ですけど、高杯の脚部ではないかと思ってたけど、ここのところの土器破片らしきの状況から見ても、羽口(炉の吸気管)の一部という検討もあるかもしれないですよね。

でも焼きものというよりは、粘土を固めただけ感も強くて、既に露出部は風雨でボロボロと崩れているから。 相当に古いもの、1万年以上前のものかもって考えてますけど・・

石炭かな001.JPG
これも前述の木炭か石炭か、天然ガスの影響を受けてる原油塊か、天然アスファルト(土瀝青)か、単に時代のゆるい泥岩か? って感じですけど、中の木片や種が炭化していないので火は入っていないようですし、石とは思えないほど軽い。珪藻土とかが自然に固まったものかも

確証に乏しい破片ばかりですけど
縄文期の焼き窯が埋っている説も検討するべきですかね ?
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陶器 破片でた!! [諸島の謎々]

例の土砂崩れの付近を歩いていると、陶器破片、また見つけました。

お皿の破片1.JPG
お皿の破片2.JPG
描かれているものが日本製では無さそうな予感してますけど・・?
中国の青花磁器の皿って感じですが
・・安土桃山から江戸時代の海賊衆ご活躍の痕跡か南蛮渡来のご禁制の品かもしれんね。


不明破片01.JPG
不明破片02.JPG
こんな断片では、何なのかも分からないけど、これは何時くらいの時代のものでしょうか。土がレンガっぽいですけどね。そうとう古そうな壺の予感です。

瓶の破片01.JPG
これは比較的新しいです。瓶の破片という事も分かる。18~19世紀でしょうか。


変な石.JPG
種や木片が入ってそうですけど、これは弥生時代頃の粘土層の化石ですかね?! もしかするとこいうのが石炭なのかも

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茶ゃわんの欠片 [諸島の謎々]

ちょっと生き抜き・・
家屋の無い場所、土の中から、なぜこんなのが出てくるのか、謎ですが・・

ちゃわん欠片01.JPG
初期伊万里か青花磁器って感じの茶碗欠片ですけど、何時頃の時代のものかな?

ちゃわん欠片02.JPG
明治~大正頃かな

ちゃわん欠片03.JPG
量産品な感じですけど、国内流通品かどうか、それが問題だね。
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象形文字 発見か? [諸島の謎々]

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-05-18
こちらのコーナーで、以前に古墳ではないかとお騒がせしていた、古代プロジェクトの続きです。

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2013-02-05
農道作業で掘り起こされた丸石の一部と古代サンゴ化石に刻まれていた試し切りのような感じの痕跡ですけど
神代文字_0924_01.JPG
もしかすると日本固有の象形文字、神代(じんだい/かみよ)文字なのかもって思えてきた。


中央部 拡大
神代文字_0924_02.JPG
どうでしょうかね。
加工前のケガキ作業の痕跡かな?
自然に出来た傷としてわ、やや違和感ありなんですけど・・
文字ならば、石器時代、数千年前のご先祖からの書き付けという事になるね~。



こちらは、古代サンゴと思われる化石
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-07-14-1
古代サンゴ化石の傷.JPG
これはいつかは、まだ分からないですけど、近くの黒磯で引き上げられたものだとの予測で、全体的にかなり不自然で不気味なもの。

古代人が呪いの儀式とかに使っていたものかも

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台風17号通過 ドキッ! 新発見! [諸島の謎々]

竜巻があったようで宮崎県は、房総半島みたいになってる地域ありましたけど、こちらは昨夜の深夜と朝方に、15分くらいですが、ピーッ プーッと凄い風音で家もガタガタ揺れてたくらいで、朝になり近所見回してみたけど、被害らしきは見られなかった。

中国山脈と石鎚山脈の恩恵というのか、内海は運が良いです。雨もトータルで20mmくらいとの予測。

まぁ、中心気圧も高いし、足も早かったので、雨以外の心配はしていなかったのですけどね~。

 ★ ここで恒例の一句です。

内海の たる屋忙しい 潮待ちに 日暮れ迫らん 速き風どの
                   from うっぴぃ~


・・で、雨上がりは土器日和ということで、ここの所、Myブームなのですが~、マタマタでたわ!!。
台風17号通過 土器1.JPG
少しづづ明らかになってゆきますね。管玉かな?

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-06-18
右側は、↑ 以前 ↑ しちりんと間違えていた縄文土器の破片の一部ですけど、問題は左奥!!。

やや小さいけど頭蓋骨の後頭部に見えませんかね。?!

しかも、かなり古い感じの絹製?、魚網みたいなのが一緒に埋っている感じです。

縫合部は、見えないけど、骨なら、確実に所轄へ通報ですよね。


♪ おまけのカバー曲

米津玄師 LEMON です。


で、こちらはその拡大ですけど
台風17号通過 骨.JPG
色は無いけど以前のベンガラ土器と同じ感じの櫛目紋ですかね~、かなり微妙!!


鑑識作業が必要なのか? 行政サイドからは完全にシカトされてる感じなので、確証とかないと気軽には行動できない状況っすね。
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御為倒し [諸島の謎々]

"お・た・め・ご・か・し" と読みますが、妖怪の名前とかではありませんので、くれぐれ・・


★ 前記事の続きPSです。 :
地理院地図 ルーツを追う.gif
21,000年前が氷床MAXという事で、海退により、海面は標高-130mの位置で、この頃、大陸からの民族移動があった様子が伺える。大まかには地図の矢印の通りですが、この3~4民族の混血が日本人のルーツなのだと思えてます。ずっと後のことですが、中国からの移動民の何世代目かは、後に、鹿児島や日向地域に拠点を置き、九州全体を支配し中・四国地域、そして近畿へと支配エリアを拡大し進出した行くというのが、もっかのところ神武東征だと思えてます。


そして7,500年前頃には現在の海面と同じくらいに海進が進んでいるから、海面上昇の速度は、年間およそ1cm程度というのが史実。

平安時代は今より数メートル海面が高かったという噂があります。

あと、周期的にみて、地球は4度目の氷河期に突入している頃ではないかと言う話も

現在の温暖化現象の影響は、赤道付近で年間2cmくらいかな。? これは自然の状態とは2倍くらい早い反応とも

二酸化炭素の増加といわれているけど、エネルギー政策は顕著だと思えてる。何の影響かは戦後の生活を考えていると誰でも分かると思うけど、熱・・

いつまで海面上昇が続くのか分かり兼ねてますが、世界各地で異常気象は続いてまして、今の速度だと凡そ50~100年先ですけど、それが平安海進で氷床が無くなった時代だと考えると、その海抜+数mの先ですが、地球環境の予測もできないよね~。


あえて言うならば "ノストラ・ヤタの大予言" としましては、100年後の東京、夏の気温は50℃越え、冬の夜間の気温は氷点下50℃には達している日もあるハズなんですよー。

その頃、気候変動は特に超不安定期です。


氷河期の話に信憑性がでてくれば、5万年後には、また海抜-130mまで海退し、氷河期MAXなんだけど、その前に人類は今後の100年を乗り切れるのか、地殻変動や気候変動に関して、とても重要な今後50年になる可能性あるよね~。

極論を言えば、氷河時代に必要なエネルギーは原発なんでしょうけど、今の技術力では管理も難しいだろうし、今の地球人口ではウラン鉱石は数万年分は眠っていないよね。? お口減らし政策とかも暗黙で検討されているのかもだよね。

舵きり期間を考えていると、判断が急がれるというのが、世界レベルで会議が持たれている理由なんだとは思いたいけど、COP2x 気候変動枠組条約締約国会議では毎回、新しい枠組みも模索されている様子はあるといった状況。

悪く言うと、今ひとつ進展がないぞと言う感じかな。

まぁしかし、世界規模の経済会議や環境会議は、やはりこのような事への懸念から継続されているのだとは言える。

また近々、世界各地の企業や軍事部門でも、宇宙開発に拍車がかかっているのも、この予測があるからだと思えてきている。

更に言うと、氷河期が無ければ、地球は、もっと早くに水星や金星のような状態になっているのだと思われる。氷河期が来る原因を追究する必要があるよね。
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土器片 行方不明に・・ [諸島の謎々]

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-08-21
忽那諸島の縄文人

で採取していた貝殻と土器破片ですが、今後も出てくるだろうと言う事で、アミカゴに入れて現場畑に置いてたのですが、先日行ってみると無くなってました。

管理者に聞いてみると、ゴミの日に袋に入れて捨てたとのこと。

ちょっと考えられない事が・・\(汗;)/

前にも軽く伝えてたのですが改めて古い土器だと説明すると、何の価値もないモノだと言い張ってた。これ確信犯だわー。

とても強い偏見に満ち溢れてる感じでしたけど、これこそが、江戸時代以前の、この地域から歴史に関する情報がいっさいない原因なのかも知れないですね~。

7世紀後半の異国街だとか、平家落人村だとか、戦国期に小早川勢に滅ぼされて皆殺しにあってそっくり入れ替わっているとか(汗;)、セツルメント的な何か理由があるのだとは思うけど、島内でも、この地区だけの色濃い特色だと思う。

もしかすると白村江の戦い以降、百済王の子孫一族に与えられた区域のうちのひとつだったのかも

そうなると証拠の隠滅が疑われる?!
日本人気質とも言うべきかなぁ、公務側に多そうなタイプ。ぁ、それは良い過ぎか・・


まぁ無くなってしまったものは仕方ないのですが、時代予測や風体からして火焔系の初期壺とか可能性はあるのかなって思えてたのですが、近々の考古界は、かなりヤバイ気がしているのは自分だけかな~



// ここでひとつ
その火焔土器って、日本で独自に進化を遂げたものとの予測なのですが、最終氷期の真っ只中で起こった大陸からの民族大移動が、その要因なんだと思う。モチーフはきっと、焚き火や火山、荒れ狂う海など、当時の日本の風景ですよね~。

それ以前、人がいなかったのかと言うと、そうでもなくて、新石器時代、旧石器時代もあるから大陸には及ばなくとも文化はあった事は史跡や遺物からも分かりますけどね。


そして、この最終氷期が終わる頃に向い、海面上昇が顕著になり、いわゆる海進が進みますが、陸と陸とが遮断されたエリアも少なくなくて、そいうった現象が後に船を生み出してゆくのだと思った。

そしてその丸木舟も、ニーズに応じてというよりは、大陸からの影響で形を整え進化しつつ、BC3~BC6世紀にはかなりしかっりしたものになり、文化の重要な伝播を担うことになっていったのだと思う。

そんな最中、皇族支配が、この倭国ではじまった分けだ。

紀元前に遡る鬼伝説が全国各土地にあり、皇族の鬼退治話も良くありまして、勇敢な軍事国家が成立し易い環境も当時あったのでしょうね~。まぁいずれも何人なのかは分かりかねてますが

こんな狭い地域から出土しているなんて、結構、凄いことなのですがね~。この地域の人々、まじヤバイわ~
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高天原って何処? [諸島の謎々]

こうてんはらって打って漢字変換すると「府中店原」なりましたけど、府中ではないですよね?

地図では奈良や京都、大阪あたりに高天原って地名は沢山ありますけど、日本書紀や古事記の編集の際に、地名として置き換えたものとは思えてるけど。

内容は、神武天皇以前の神々の話なので、視野は広く倭国内に留まらずだとの予測もありまして~

高千穂峡や上高地のような秘境だとは考えたいものですけど、もしかすると中国の高地、更にその岩山の上ではないかとか、霧が立ち込むと見えなくなってしまうというウーロン茶とかの生産地かな?

神武中国人説といますか、神々って、共通して、両羽の剣や銅鏡や勾玉、弓とかを持っていたとされてまして、いわゆる三種の神器って奴ですけど、実際には10種類以上あるらしく~

これが、国々、種族、直系を示すものだとすると、大陸からの移住者ということになりませんかね。?

主には、隋や唐以前の上海や黄海の周辺の国々、朝鮮半島からの移民で、最終氷期の7~1万年くらい遡ると、サハリンからの移動も少なくなかったはずですけど・・

ルーツですね~。

黒潮や数多くの火山活動の影響で、国内某所とても温かかく、雨も良く降り、動植物も豊富で暮らし易い場所が多かったハズなんです。

氷期は、陸続きなので移動に大きな船も必要なかったんですよね、たぶん。


その船と云うと
倭国は島国なのに船の歴史もハッキリしていません。弥生期の船の土偶や土器に描かれた船くらいは残っている程度。具体的には縄文丸と安宅船くらいはわかったけど、瀬戸内海でダウ船が使われていたかどうかなどまだ不明な事も少なくない。

関門海峡って人工の運河ではないかという説もありまして、じゃ何時作られたのよって事ですが・・、遣隋使の時代(6世紀後半~7世紀初旬)、天津市では大運河を開通させていますから~


また "白村江の戦い" の話を聞く限りでは、遣隋使の頃には、木造の軍船を数千隻は維持していたのではないかとの予測もあるから、それ以前なのは間違いないのですけど・・

神武東征の際にも1000隻余りの軍船で南港目指してますよね。紀元前660年です。操船術、航海術もかなりのものだった筈です。

これって日向の国をもぬけの殻にして、というのは考え難いから、既に九州全域は従えていたと考えるべきですけど、太平洋側を伊勢方面へ進まず、なぜか、日向 → 国東半島 → 下関 → 山口 → 周防 →→→ 南港 のルートらしい。

だとすればですが

鳴門付近が、勢力も含め難関なのを知っていた事になる分けだけど、既に中・四国も支配していたのかもって考えると、西日本の大半は従えていたとすれば、この時期に、1世紀くらい費やして関門海峡が造られた可能性は検討の余地あるのかも

大陸との交流もあったとすれば、地中海文明みたいに海上貿易の繋がりは必要なので古代、船はいろんな用途で重要な役割を果たしていた事になる。ただ日向の国以外にも、出雲やその東側の葦武山から神武東征がはじまったという説もある。

・・で、高天原って何処にあったんだろうか!!
天津(てんしん)の事ではないのかな?

古墳分野では "896の聖域" って呼ばれているらしいですけど、古文書などの歴史資料からも、様々な事情で、今もって公開できない部分も沢山あるのでしょう~。邪馬台国に関してもそうかなって・・
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忽那諸島の縄文人 [諸島の謎々]

台風10号の影響で、結構、雨降りましたけど・・
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-06-20-1
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-06-18
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-06-07
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-05-18

↑ 過去ログ参考 ↑



まずは、崖面の土製管ですが・・

高杯の脚.JPG
本日、土器の様子を見に行ってみると、やはり崩れ落ちていた。見えていた部分は、今回の豪雨で、もう原型もなくなりましたが、実は、土製管ではなくて、高杯形土器とその脚部だとの予想で、例の櫛珠円底土器にしてもその関係ではないかと・・

予想以上に、もろくて、1万年前頃の縄文土器ではないかとの予測です。

忽那諸島_貝塚発見続き.JPG
畑の奥でも、やはり貝殻何個も落ちていました。

縄文土器に円形型.JPG
貝殻と一緒に 6cm厚くらいある厚型土器の破片も落ちていました。円形の型が見えます。これ、裏側が湾曲しているので、底ではなくて、たぶん側面模様だと思うけど、縄文~弥生時代にこんなダイヤモンドリング描けていたんだね~、こんな小さな離島で

・・月輪(つきわ)家紋の原型なのかも

古代エジプトあたりでは、昼間が太陽神で、夜は月が闇へいざなう神という事で、要は巡礼の導きって感じのダークな神を表すものだと思うけど、これも神事や祭事や儀式に使われていたものの可能性もあると思える。


 PS : 思いついたので一句
   西風を 逃す賜れよ 梅の花 
           from うっぴぃ~



例の櫛珠円底土器(櫛目紋土器)も、今回の雨で、かなり露出してきていますけど、やはり口が開いていないように見えている。

底は丸いし、古い感じの割りに、超整っているしでかなり不思議なのですが、平安時代に半島で作られた縄文レプリカではないかとの予測してますが・・

神道の祭祀(さいし)用の品々ではないかと思えてきてるのですが、朝鮮半島から東へ(出雲→防予諸島→伊予の国)経由で文化が伝播したという重要な手がかりが、ここら辺りに沢山眠っているに違いないです。


そのうち人骨とか出てきて、DNA鑑定で、ご先祖だって事にでもなったら凄いけどね~(笑;)。
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茶器の破片かな? [諸島の謎々]

これも昨(2018年)年、夏の豪雨災害の痕跡ですけど・・

天谷_茶器_破片03.JPG
災害土砂を一次仮置きしていた天谷小学校グランドで、例の釉薬が施された土器と一緒に発見していた破片です。

参考 : 厚型土器破片の釉薬
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-07-09


天谷_茶器_破片04.JPG朱泥や紫砂で作られている感じなので日本のものでは無さそうな予感。


天谷_茶器_破片05.JPGこれだけなので何とも言いがたいけど、感じからして中国の茶器ですよね~

天谷_茶器_破片06.JPGそのあたりでサーチしていると 中国宜興(ぎこう) っぽい感じなことが分かる。古いものでは唐の時代に遡るとか

天谷_茶器_破片07.JPG
急須かな。? 茶道具だとは思うのですが、確かな事は分からない。

朱泥や紫砂で作られている茶器は、お茶の風味を益して美味しくなるらしいです。

中国宜興の茶器は今現在も作られているようで、お眼鏡に合うものがあれば、買ってみたい気持ちでいっぱいでした。
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