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たぶん供物皿(食器)?! [諸島の謎々]

埋設物に関して、数年にかけて、その都度、こちらのコーナーで取り扱ってきていますが・・

お供え食器.jpg
先週、地上に露出していたのを取り出したものですが、たくさんあるのかと思いきやこれだけでした。

まだ農道の敷かれていなかった頃の記憶では、20ヶ所程あるかないかですが、小さな祠や五輪塔がところ何処にあり、4~50年くらい前までは、旧正月や節句、お彼岸、十五夜など、団子などのお供えものや樒(しきみ)か、榊(さかき)かがいけられていたと思うんですよね~。

道が整備されて、そういった習慣が失せてからは、その器が風雨で割れたりしたものを、誰かがまとめて埋めていたとの予測を巡らせてはいるのですが・・


以前もこの地域の歴史を遡ったりしていますが

点在していることから、祠は、小早川軍が強襲してきた際、落城時に忽那水軍側で大勢が亡くなり、それを先祖代々、何か分からず祀っているのではないかとか

妙なものがあちこちから出てきているといのは、そういう事なのかなって考えてる最中で、言い伝えも何も聞かされてはいないので、今となっては単なる憶測だけなのですが

更には、集中豪雨による土砂崩れなどで地形が変わった際の痕跡とも考えられるし、いぜん、なぞはなぞのままでして

このプロジェクトは、何も答えが見つけられないまま、雨が降るたびに永遠続きそうな予感だわさ。


しかし、例の節目紋土器らしき弾丸形状の焼き物は、ド根性ですよ。
落下すると思ってからもう1年以上が経過していますが、まだ全容が分からないまま、もう一雨か二雨で白黒はっきりするのではないかとは思えているけど、やっぱり口がないから壺ではない様子あり。

漁具かな

仮に500~1000年くらい前のものだとしても、この辺りは弥生時代とそれほどは代り映えの無い暮らしをしていたのではないかとも思えてまして・・

一見さび止めにも見えるのですが、江戸期の塗料なのか、ベンガラかどうかもまだ分かりませんけど
その昔、南蛮渡来の御禁制か、抜け荷かの品々の高値取引に着目して、海賊行為が禁止されて以降、贋作を作っていた歴史とかもあるのかもですよね~



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