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瀬戸内の海賊諸島 [諸島の謎々]

火葬って、古くは6世紀ってあったけど、その頃のものの大半は火炙りの刑かそれに近い状態ではないかと思う。たぶん、高貴な天皇家とかでの事なんだろうね。

検索してたら明治には3割くらいってあったけど、地方行政が火葬場建設に積極的になったのは大正入ってからということなので、離島や山間部では、昭和入ってからの可能性ありますよね。


というのも地元の墓地がいつくらいから、存在あるのか考えていたのですが、現代の形式の墓地は、火葬墓地ですからね。!!

古そうに見えてても昭和64年+平成31年+令和2年 = 100年もは至っていない訳だな~。


都会も地面を何メートルか掘り起こせば人骨が次々に出てくる場所はあちらこちらに点在しているなんて聞いてたけど、田舎では古代の史跡とかそのまま眠っている場所も意外と多くあるのでは? って思えてまして


いぜんこちらのブログで紹介していたものも・・

現在の墓地ではない場所で、石のモニュメントとかが、日当たりの良い山斜面にあったりするのは、古墳や石憤の類か、或は悪い事とかしてて公に出来なかった位のある者なんかなって考える事がある。

こちら瀬戸内は海賊島も少なくなくて、隠蔽体質というのか、公に出来ない関連少なくない感じ強くて、謎は深まるばかり・・

何か発見しても、歴史のひとこまさえ、無になりますね。

同胞融和とかの件考えていても、天皇支配頃からの統治がらみの線も消えた訳ではないけど、なお更だわさ。

瀬戸内海にはずっと隠しておきたいおぞましい黒歴史とかがあるのかも知んないな~
今でもそれらに関して気軽に喋られると困る訳ですよね~。

地方行政も今は政府が仕切っているので、天皇制との関わりもね、云々・・

ただ国民の中には、神棚の位という習慣的な部分がある事は、政治家やマスコミとかの言葉使いからも分かりますわ。
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