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土器片 行方不明に・・ [諸島の謎々]

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-08-21
忽那諸島の縄文人

で採取していた貝殻と土器破片ですが、今後も出てくるだろうと言う事で、アミカゴに入れて現場畑に置いてたのですが、先日行ってみると無くなってました。

管理者に聞いてみると、ゴミの日に袋に入れて捨てたとのこと。

ちょっと考えられない事が・・\(汗;)/

前にも軽く伝えてたのですが改めて古い土器だと説明すると、何の価値もないモノだと言い張ってた。これ確信犯だわー。

とても強い偏見に満ち溢れてる感じでしたけど、これこそが、江戸時代以前の、この地域から歴史に関する情報がいっさいない原因なのかも知れないですね~。

7世紀後半の異国街だとか、平家落人村だとか、戦国期に小早川勢に滅ぼされて皆殺しにあってそっくり入れ替わっているとか(汗;)、セツルメント的な何か理由があるのだとは思うけど、島内でも、この地区だけの色濃い特色だと思う。

もしかすると白村江の戦い以降、百済王の子孫一族に与えられた区域のうちのひとつだったのかも

そうなると証拠の隠滅が疑われる?!
日本人気質とも言うべきかなぁ、公務側に多そうなタイプ。ぁ、それは良い過ぎか・・


まぁ無くなってしまったものは仕方ないのですが、時代予測や風体からして火焔系の初期壺とか可能性はあるのかなって思えてたのですが、近々の考古界は、かなりヤバイ気がしているのは自分だけかな~



// ここでひとつ
その火焔土器って、日本で独自に進化を遂げたものとの予測なのですが、最終氷期の真っ只中で起こった大陸からの民族大移動が、その要因なんだと思う。モチーフはきっと、焚き火や火山、荒れ狂う海など、当時の日本の風景ですよね~。

それ以前、人がいなかったのかと言うと、そうでもなくて、新石器時代、旧石器時代もあるから大陸には及ばなくとも文化はあった事は史跡や遺物からも分かりますけどね。


そして、この最終氷期が終わる頃に向い、海面上昇が顕著になり、いわゆる海進が進みますが、陸と陸とが遮断されたエリアも少なくなくて、そいうった現象が後に船を生み出してゆくのだと思った。

そしてその丸木舟も、ニーズに応じてというよりは、大陸からの影響で形を整え進化しつつ、BC3~BC6世紀にはかなりしかっりしたものになり、文化の重要な伝播を担うことになっていったのだと思う。

そんな最中、皇族支配が、この倭国ではじまった分けだ。

紀元前に遡る鬼伝説が全国各土地にあり、皇族の鬼退治話も良くありまして、勇敢な軍事国家が成立し易い環境も当時あったのでしょうね~。まぁいずれも何人なのかは分かりかねてますが

こんな狭い地域から出土しているなんて、結構、凄いことなのですがね~。この地域の人々、まじヤバイわ~
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