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忽那諸島で貝塚発見(証) !! [諸島の謎々]

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2006-03-17
という分けでして、先日迄のこちらナゾナゾのコーナーですが、14年以上前の「貝塚 みつけたかも・・」が、やっとホンモノだったと証明できたのかも・・

島の近くでは、ダッシュ・ロケ地になってた由利島で、発見の報告はあるにはあるのですが、こちら忽那諸島(本島)では、たぶん、はじめてではないかと思うけど、山を掘り返す分けにも行かないから、当分は、このままそっとして置くしかないのですよね~

※そのうち、近い将来? 豪雨や南海地震で土砂崩れとかあれば見つかるのだとは思えている。


https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-06-18
こちらは山肌からポロポロと崩れてきてるのですが、5500年も前の縄文土器から、解明される事も沢山あるんだという事は今回分かった気がしてまして、瀬戸内海の半分くらいは陸地だった頃の話ですが、海抜が40~50m低いければ島の周辺は汽水域になる。

今現在も沈降性の島ではあるけど、いつの時代か35m程沈下しているという経緯もあるらしい。由利島水没伝説よりもっと以前に、由利と二神島とは陸続きだったという説もあるし・・

放射線の半減期測定とかやってみなければ、時代が、やや漠然とし過ぎている結果でしたが、数万年前の土器だとすれば、具体性も増してくるので、この話はオープンにして瀬戸内海全域はもとより、西日本全域で、まとめる必要もありそうな予測です。


以下は瀬戸の海底図で参考にさせて頂いたページ
ttp://r1rawd.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/500md11-5201.html
瀬戸内海の、3D海底地形図



https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-06-20-1
しかし、もうひとつの問題、Oh! PARTS こちらはどうですかね~ ?!

たぶん平安~鎌倉頃の、天満神社の祭事用に作ったレプリカの須恵器だとは思うのですが、もしホンモノならば1万年ほど前のものです。

尾道ルートあるから葦獄山は望めるので神武天皇や、天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の存在を示す土器、邪馬台国の頃の支配圏を示す手がかりにもなり得るのかもという期待もあるけど、この神話は2700年くらい前の話という事なので、これも時代に誤差がある。

・・価値ありそうな予感もしてきたわ~(笑;)。




おまけ : わがままジュリエット 歌ってみたMIX

史上もっとも遅いということでしたが、四国もやっと梅雨入り宣言。

もう台風来てるらしいし、家の回り、急傾斜 崩落危険地域に指定されてしまっているので、崖崩れ要注意なんです。

これからハードになりそうだな・・
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うっぴぃ〜

島が35m沈んでいるという話ですが・・
十数万年前から2000~3000年の周期で南海トラフを震源とする巨大地震や余震で、西日本の各所で発生していて、その度に1~2mの地盤沈下を続けているということみたいですかね。?
それ以前(数百万年、数千万年前)は西日本自体が、1000m以上深い海底だった時期もある事も地質や化石などで分かってきている様子もある。
by うっぴぃ〜 (2019-06-30 03:47) 

うっぴぃ〜

↑ そうでなければ、今の南港は、この忽那諸島付近にあり、大阪あたりませで陸続きだった事になる。ただ今治の沖合いにはやや深い地形もあり、琵琶湖クラスの湖が広がっていたという説も
by うっぴぃ〜 (2019-07-04 16:11) 

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