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魔の空白?! [諸島の謎々]

https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-03-23
の続き

史跡なのかもしれないと思い書籍とか読んでたのですが・・

江戸時代、幕末期、ペリー来航以降、日本中が揺れた安政の大地震とか、同時期、この瀬戸内海(中予)でも巨大地震と大津波と豪雨災害が何度かあったこと以外は、被災現地の事が記された書物は、何も残って無さそうですよね~。生き残った人たちの記憶から語り継がれてきた事だけが頼りで、四半世紀の空白が目立つね。


逆さまで半分埋もれてた嘉永二年の碑。
中央に2名の連名が刻まれ奉られてる巨石。
嘉永二年 奉 玉垣.JPG
玉垣の類でしょうか

・・出来ることって限られるよね!! な~んか、難航しそう。

4/9 PS : 出土品は文化庁扱いとありました。ttp://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/hokoku/shutsudo/kangaekata.html
県教委とかの鑑査で、文化財と認定されると国庫に帰属するらしいです。


雨が続くと、山肌崖面からこんなのが良く出てくる。
シジミ発掘190328.JPG
ヤマトシジミとアサリかな? 、イガイや赤貝かサルボウなんかのか可能性も、はたまた、貝塚なのか地層から出てきた天然のモノなのか、それが問題だね~。12000年も経過しているとは思えないけどね~。

発掘01-190328.JPG
直ぐ横からは、かなり古そうな焼き物の破片かな? 白い部分は漆喰でしょうか? もしかして弥生土器って感じもあるけどね~。 あと先日の瓦と同じ感じの瓦の破片も何個か出てきてる。もしかすると、土砂災害以前、この上方には、庄屋か藩の陣屋敷か社寺などの建物があったのかも知れないと思えてきた。


PS :
近くの小さな古墳や前方後円墳から諸刃の剣が出土しているらしいです。
この手の剣は、国内では古墳時代前期の出土品でしか発見されていないらしい。


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うっぴぃ〜

この玉垣、嘉永二年の石碑。
正面に刻まれた 甚六 と 半衛門 の連名には、主従関係がありそうにも思えてますが、武家公家以外は苗字が使えなかった時代ですので、以外の民衆ではあるのですが、ただこの島は、落城以降、身分を捨てたものも少なくないとは思えているので、島の複雑な事情上、源平藤橘性とはまったく無関係と考えるのもどうなのかとも思う。

現在の地元 K建設とN建設のご先祖さまで、泰の山城の何らかの関係者の可能性を最初に考えるべきなのかな
by うっぴぃ〜 (2019-07-27 05:33) 

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