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斉之神(日之浦)の遺跡 [諸島の謎々]

一昨日は、10年か? ぶりくらいで斉之神へ向かってみた。

五輪塔の一部.JPG
平安時代を思わせるような五輪塔かな? 丸っぽいから水輪だと思う。御札(御祓大麻:おはらいおおぬさ)もあるようだし、何か弔うか、祀ってある感じですかね~。


ここが小野小町の噂のもとなのでは? って疑ってるのですが・・

五輪塔の一部02.JPG
平安~鎌倉頃に使われていた凝灰岩だと思うけど、1000年近くも経過すると老朽化もハンパ無い様子~

小町が詠んだ辞世の句を刻んだ石碑は土砂崩れで行方不明とされているけど、このあたりの何処かに埋ったままなのか? この種類の石だと、もう文字は読めないだろうな


周辺の大半は畑ですが、昨年の土砂崩れ被害の傾斜地でもあり、痕跡もそのままな様子だった。


余談ですけど、この地区の現在の天満神社(お太夫さんが亡くなられて後)は、隣地区の五十鈴(いすず)神社の神主さんへ、管理移行されているという事でしたが、創建も分からないままなのですが、祠くらいの神社時代も別の場所であるらしいという事で・・、参考資料みていると、同列の 綱敷天満神社 (今治市)の記載に、「徳川吉宗が八代将軍となって以降、1720年6月に、伊予松山藩主松平定英の命により社殿が築かれた。」とありまして、こちらも、その頃ではないかとの予測してます。ただ例の逆さで埋ってる玉垣は嘉永2年(1849)だったので、災害の後、現在の場所に新しく立て替えられたのだと考えついた。

※道真公は、舵のある船団で海路を大宰府へ向かわれている事や、その頃既に漁業に魚網が使われている事も分かった。



PS : 200万画素時代に撮影している、この五輪塔のPhotoが何処かにあるハズなので、出てきたらupする予定です。
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