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天谷の思い出 [諸島の謎々]

例の小学校の「天谷」という名称のいわれですけど、古代から支配エリアだったことや、平安時代以降、天皇家系の配流の地となっていたからという説に往きついてますけど・・


平成20年の廃校時の記録によりますと
明治7年には各地区に寺小屋のような学び舎が存在していて、その後、統合と改名を何度か経て、昭和16年に、西中島村立 天谷 国民学校と、この時はじめて天谷という名称が使われていました。


忽那文書のあった吉木地区ですが、大里(おおり)山から連なる峰々の谷地形に位置しているので、以前に使われていた日進館(吉木)や吉木尋常小学校となると、他の地区の手前、不都合もあるので、天の谷でアマヤとして統合したのではないかと思えてます。

www.matsuyama-edu.ed.jp/~s-amaya/01gakkou%20syoukai/gakkou%20syoukai.html
※詳しくは、こちら学校紹介のページを参照ください。


実は、ここでも悪夢が思い出されていますが
転校して暫くして、水泳大会があったのですが、500mだったと思うけど、小学校の西側に海が広がってまして、間隔125mくらいの波止場が2つあり、そこで通常の水泳の授業が行われていたのですが

それは記憶にあたらしい、夏休み明けの曇りの日でした。
2往復ですよ~。

海水の冷たさと、潮の干満差、環流の影響による離岸流など複雑な流れが発生しているし、それも数分単位で絶え間なく変化している状況。

想像できるでしょうか?
カブガフ潮は飲むし、向かい流になると、まったく前に進めなくて疲労は限界超えているし、途中、何度も、死に掛けてる(笑;)。

今考えると、大人教師たちの配慮だったのか、一番内側の流れの穏やかなポジョンだったようだけど、プールで 25mも完泳できない子供が、ドゲから更に何十分も遅れて、息絶えつつも、なんとかゴール

外側だったら、たぶん、死亡事故は確実に発生していると疑わない(汗;)。

海水って比重による浮力が、結構、凄いんですよね~。潮飲んでも、あわてず、肺に空気さえ貯めてれば、体に力を入れ過ぎなければ、中々、沈まないんですわ。

最後の折り返しは、ノーズだけ海面すれすれの犬掻き状態です。
これって ↑ 溺れてるんだと思うけどね~。

涙と鼻水と脱力感と震えがきてて、身体は薄紫色になってて、同級生や教職員みんなから笑われて、・・その後、熱い生姜湯たった1杯で黙らされてた記憶(笑;)。

生徒数はバカみたいに多かった頃だし、教職員にしろ、この島の海で人命救助が適切に行える人材は少なかったハズで、診療所はあっても、救急救命の知識や設備は整っていない時代ですよね~。


4年か5年の頃だったと思うけど、天谷の悪夢ですけど、「そういう時代よ」の一言で許されていた教育現場だったんでしょうね。
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